5月1日はスズランの日
いさぎよくスッと伸びた芽は、スズランです。
これは横浜の実家の庭から寒河江に引っ越す時に持って来ました。
横浜の坂の途中にある実家の、さらに坂の上に祖父母の家がありました。「上の家」と呼んでいた、その家の庭に、数本の背の高い木、その木陰に二畳くらいのスズランが敷き詰められるように咲く花壇があって、毎年楽しみしていたのでした。
普段、「上の家」にはめったに行かない父が珍しく自分で掘り起こしてくれました。すでに祖父母は他界してだれも住んでいない家と庭が残っていました。
このスズランは父の友人が病気になり自分は死ぬからと入院した時に小さな鉢植えを持ってきてくれたそうです。土が合ったのかそれが広がったんですね。
我が家に来て20年、植えた場所のせいかあまり増えずにこちょっと芽生えて、花を咲かせます。
実家では昭和の話ですが中学を卒業して准看になるために一緒に住んでいた方たちがいました。その中で一人、大阪に嫁がれた方がいるのですが、先日何十年ぶりかで再会しました。祖母の話からスズランの話になり、山形に持ってきたことを話しました。今回新しい家を建てたとのこと。お庭に植えてもらおうと、ヤマト便で送りました。
横浜から寒河江を経て大阪へ。スズランの旅ですね。
スズラン(鈴蘭)の花言葉は「再び幸せが訪れる」「純粋」です。
キジカクシ科の宿根草で有毒!、寒さに強い花です。
子供の時にスズランのお花を摘んで、花卉の代わりにコップにいけていたら叱られたとこがありました。毒があるからだったのでしょうか。
フランスでは5月1日、愛する人にスズランを送る風習があり、500年も前から続いているそうです。素敵な伝統ですね。
ちなみに着物では4月中旬から5月上旬が季節に合うようですが、洋風の花なので春から夏まで長く使えそうです。
5月1日愛する人にスズランを送ってみませんか?
看取りに自信がない
リハビリテーション科医師の気づき
着物好きが高じてきものカラーアナリスト、KICCAきものカラーコーディネーターになったリハビリテーション科専門医豊岡志保です。
このシリーズでは仕事の中でスタッフや患者さんとのやり取りの中で気づいたことを書いていきます。
スタッフに看取りに自信がないと言われたら?医師としてどうしますか?患者の家族、患者としてどう感じますか?
ある医師から神経難病病棟の看護師は看取りのことを知らないと言われました。だいぶ前の話です。
「『君たちは神経難病患者の看取りに自信があるか?わかっているのか?』と聞いたら、私たちはわからない、勉強が足りないと情けないことを言った」と話されました。
まじめな先生ですから「私が一から教えなければならない、なんてことだ。」
でも、自信があると答えるスタッフのほうが私には恐ろしい。看取りについてわかっているから任せて!なんて違和感があります。
神経難病とはパーキンソン病、ALS(筋萎縮性側索硬化症)など原因が不明で治療がない病気の一群です。進行性のため、去年できたことが、今年はできない。症状の発現から診断までが紆余曲折あり、長い時間がかかることがあるため、経過中にリハビリテーション科を受診することも多いです。
訓練をしながらよくならない患者さんに寄り添っていく。
その時々で生活をできるだけ整える。
希望が持ててかつ自ら今後のことを決められるように将来のことを話していく。それを心がけていました。
徐々に体が動けなくなっていく患者さんは寝たきりになると入院して最後まで過ごすことがあります。体が痛いというよりも自分の命が奪われていく恐怖があります。
外来ではこれから生きるを選択していたのに、入院すると今を生きるを選択する必要があります。
看取りについて自信があるから教えてあげますというスタッフがいたら患者さんは心強いのでしょうか?それよりも自分と一緒に悩んだり、考えたりしてくれるスタッフが大切ではないかと思うのです。
だから本当に最後に近くまでリハビリテーション訓練を継続することがあります。話し合うことも大切ですが、訓練は一緒に行動することだから。リハビリテーションは生きるに参加することだから。
病棟の看護スタッフは悩んだり、後悔したり、時には医師からわかっていないなんて怒られたりしながら24時間患者さんに寄り添います。自信がなくて当然、それは学びたいという気持ちの表れですよ。
どうぞ、まじめ先生ご心配なく。
500円の帯が教えてくれたこと
レストランでランチ。春らしいコーディネートを考えました。若草色の紬は人形仕立て。これは背抜きのジャケットのように一重仕立てでありながら袖と裾だけ袷のように八掛がついています。春から初夏にかけて便利な仕立てです。八掛も薄い緑色です。
この帯は、3,4年前にフリーマーケットで見つけた九寸名古屋帯。段ボールに入っていたこげ茶色の帯を引っ張り出して見てみると、刺繍?織?で小鳥と桃の実が描かれています。なんと500円でした。
即買いして、自分で解いて水洗いしました。解くとほこりや糸のくずがたくさん出てきました。洗おうと洗剤水につけると茶色がサーっと色落ちしてびっくり!でも、汚れが落ちてすっきり。そのあと乾くのが早いのは絹だからでしょう。まっすく乾かすのはとてもできず蛇腹にして干しました。
和裁師さんは曲がってよじれている生地を見て、ため息ついていただけれど何とか仕立ててくれました。お仕立て代はかかったけれど、レンガ色のお気に入りの帯になりました。お太鼓には柄が入っている部分の近くが縮んでしわになっています。でも柄はかわいくて大好きな帯の一つです。
教訓2つ
- 安いと思っても仕立て直しの料金がかかる。
- 汚れを落とすと色が変わることがある。
チャレンジは自分の責任。
値段よりも自分の好きを大事に着物をエンジョイ!
Let’s coloranalyze! レツカラきもの相談室を始めました。タンスの着物のコーディネートなど着物についてご相談ありましたら、お気軽にご連絡ください。
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春の花コーディネート 水仙
水仙 この黄色い水仙は Narcissus jonquilla 庭の水仙では一番先に咲いてくれます。枯れた芝生がパッと華やぎます。
ビビッドな黄色の帯揚げに水仙のキパっとした葉を思わせる帯締めを使った水仙コーディを考えました。着物は山本由季さんの無線友禅、博多帯。
ところが、実際に身に着けたのは私のパーソナルカラーサマーに引き寄せてブルーを使いました。この方が落ち着きます。
それでも黄色の帯揚げが有効! 春のウキウキした気持ちを盛り上げてくれます。
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コーディネートやあつらえについてご相談ありましたら、お気軽にご連絡ください。
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私の学んだきものカラーコーディネーター協会が新しいプログラムを発表しました。
色彩から着物を学ぶと洋服やインテリアにも応用が利きますし、私は新しい色を取り入れることに抵抗がなくなりました。着物警察も怖くない(^^♪
一般社団法人 きものカラーコーディネーター協会(KICCA)
コーディネーター紹介には私もでています(〃ノωノ)
私のきものストーリー③
“人生の節目を着物で迎える”文化を広めていきたいと思ったきっかけは、東北大震災でした。震災の被害のあと医療者としていろいろ仕事もして深く思うこともあったのですが、きものについても同じように印象的なことがありました。
東北大震災のあと、当時通っていた着付けのグループで陸前高田に慰問に行った際のできごとでした。
私は、踊りながら着物の帯結びをする「帯舞い」という踊りのサポートとして参加したのですが、地元の高齢の女性たちが「私も着物は沢山持っていたの。無くなっちゃったけれど今日見られて良かったわ」「あなたの着物に似たものを持っていたのよ」などと積極的に話しかけてくれました。
被災によってすべてを失ったように見える人でも、大事に身に着けていた着物の思い出はしっかりと残り、そして、誇りを持って語ることができるのだと気づきました。この出来事をきっかけに、単なる着物が好きという思いから、私たちの人生に彩りと誇りを与えてくれる“着物文化”をもっと広めたい、そう思うようになりました。
東北大震災が起きた時は地方の病院でリハビリテーション科医師として働いていました。とてもやりがいがあると思いつつ仕事に追われるようで、これを一生繰り返していて良いのかと悩む時期でもありました。
仕事とは違うところで、着物に人を励ます力があるとすれば、新しいことを勉強したいという気持ちがわいてきたのでした。お茶お花という伝統的な素養よりもカラーコーディネートを学ぶことに決めたのは、今まであったことのない人たちと知り合いたい気持ちが強かったからだと思います。
by Udemy
春の色 ピンクを着よう②
パーソナルカラーに合わせたピンクを選びましょうという提案をしました。
letscoloranalyze.hatenablog.com
私物キモノを振り返りますと、見事にサマーでした。
自分の好きは?似合うから好きになるのか、もっとビビッドなピンク、深い色みのピンクも好きなんですが、、、
大学の卒業式、ちらっと1987年(昭和の最後の方)と書いてありますが、袴に様々なピンク。笑顔が最高のおしゃれです。
胸を張ってピンクを着ようと思いました。
高次脳本⑩ リハビリテーション科の医師が選ぶ障害の本
高次脳本⑩ わかってくれるかな、子どもの高次脳機能障害 発達からみた支援
子どもが交通事故や脳炎、または脳の血管の病気で高次脳機能障害が後遺することがあります。
学校や、幼稚園に早く戻ってほしいと、早めの退院、早めの復学になることが多いです。私も元の環境に戻ることが子供の成長には一番効果があると思っていました。
でも、この本の中には復学は十分環境を整えてからと書かれています。外見からは障害があると感じられない子どもが復学して、疲れやすかったり、イライラしていても、周りは理解できないでがんばらせるかもしれません。頑張れない自分に落ち込んだり、自分のことをできない子だと思ったり。子どもは両親、家庭、学校という環境を自分ではかえられないのです。
この本では、ベテランママと支援者のアドバイスが症状ごとに掲載されています。
例えばプールの実習の時の着替えを前もって練習しておくこと、確認しつつ最初から完璧を目指さないこと、苦手をオープンにすることなど現実的なアドバイスは、戸惑うママたちにお役立ちです。ママたちが一人で悩まないで相談できるように、地域の家族会の活動も紹介されています。
太田令子先生が山形で講演してくださったのは平成30年でした。「子供たちが未来を豊かに生きるために」という題名に先生の願いが込められています。
その時一緒に講演してくれた秋田県のシンガーソングライター 大川千里さん。彼女も子どもの時白血病から高次脳機能障害が後遺した当事者です。 可愛かったなあ。